YouTubeなどで、外国人が日本人の特質について言及している動画の中には、日本人が相手の「言葉にならない気持ちを」を察して動く能力が高いことを指摘するものをよく見かけます。その背景の一つとして日本の家屋のつくりや親子の交流のあり方が関係しているのではないかと考えます。
日本人の「察する」能力
さまざまな研究で、欧米社会が言語化された情報を中心に相互理解を進める「ローテクスト文化」であるのに対し、日本社会は言語化されていない行間を読むことが求められる「ハイコンテクスト文化」であることが指摘されています。
また、感情を理解しようとするとき、例えば米国では顔の中で最も表情豊かな部分である「口」の形にもとづいて感情を理解しようとする傾向が強いのに対し、日本では表情の中でも変化の少ない「目」から感情を理解しようとする傾向があるということも示されています。「目は口ほどにものを言う」「目を細める」「目を丸くする」など、目を中心とした表現がたくさんあるのはそのことを表していると言えます。また、SNSで使われる絵文字も、米国の絵文字は口の形で表情を表現しているものが多いのに対し、日本の絵文字は目の形で表情を表しているものが多いということです。
国際的なビジネスの場面では「日本人は言いたいことをはっきり言わないので何を考えているのかがわからないで困る」という評価もよくされており、国際的な協力をする上での課題にもなっているようです。
日本人の自我構造
システムという視点から考えると、欧米人の自我構造は比較的固い境界に守られた閉鎖システム的な傾向があり、日本人の自我構造は比較的柔らかい境界で守られている開放システム的な傾向があると考えることができると思います。日本人の自我は自然に他者と多量の情報をやり取りしている状態とも言えます。
自我構造と家屋のつくり
この傾向は、家屋のつくりと関連しているのではないかと思います。欧米の家屋の構造は、各部屋がしっかりとした壁で仕切られており、ドアを閉めると音などがあまり聞こえない構造になっています。これに対して日本の伝統的家屋は、部屋を隔てるものは障子やふすまなどで、閉めていても、常に隣の部屋に音が聞こえるような状態にありました。
つまり、欧米の家屋では、ドアを閉めてしまうとほとんど周りの音も聞こえず、基本的に他者の存在を意識することがないような状態で生活することになり、日本の場合は、常に他者の存在を意識しながら生活してきた、ということです。
生活空間がそのように違うということは、当然発達過程において形成される自我の傾向も変わってくると想定されます。つまり、日本人は常に他者の存在を意識せざるを得ないような家屋環境の中で育ってくるので、自然に開放システム的な自我構造になってくると考えられるわけです。
近年日本の家屋も壁やドアでしっかりと仕切られた構造が主流になってきました。もしかすると「空気を読むのが苦手な若者」が増えたと言われる理由もそこにあるのかもしれません。
欧米型の自我構造と日本型の自我構造のどちらがよいのか、ということについては両論あるかと思いますが、私自身は日本人の優れた特質の一つだと考えています。少なくとも子どもの時代には、壁やドアでしっかり仕切られた部屋で過ごさせるよりも、ドアをカーテンにするなどして、お互いの存在が常に意識されるような環境にすることが重要ではないかと思います。