とらすと通信

とらすと通信2026年9月号「境界から性教育を考えてみる(4)」

6月から3回にわたって「境界から性教育について考える」というテーマで考察してきました。今回は全体を振り返ってまとめをしておきたいと思います。

性行為(セックス)の意義

前回までの内容を振り返ります。ヒトにとっての性行為には次の3つの意義がありました。

① 生殖、② 娯楽(レジャー)、③ 関係の親密化(=あいまい化)

今回のテーマで扱っている「境界」の概念を使って考察されているのは③の「関係の親密化」です。「性行為によって心理的境界がきわめてあいまいな状態になる=世界で最も身近な人間になる」ということができます。

一般に ①生殖 と ②娯楽 は明確に意識されていることは多いですが、③関係の親密化 については比較的明確になっていないことが多いと思います。

学校における性教育の現在

現在学校で行われている性教育は、主に「①生殖」に焦点が当てられています。生殖のしくみ、男女の体の違い、思春期の体の変化などが扱われています。性感染症や避妊の方法などの正確な知識を理解することも重視されています。また、自分と相手の心と体を守るために、お互いの合意が重要であることやDVを防止するための意識や行動について考えさせることなどが行われています。

現在の性教育がこのような形になったのは、1970年代くらいからと言われています。それまで主流だったのは「純潔教育」と呼ばれる考え方です。つまり「結婚するまでは性交渉をしないことが良いことだ」という思想です。同時に性について公に語ることは忌避される傾向にありました。それを考えると現在は性についてオープンに語れる風潮になってきたことは良かったと思います。性感染症や避妊などの必須の知識も比較的正確に伝えられるようになったことも大きな成果だと思います。

しかし、課題は残ったと思います。それは、「配偶者や恋人などのパートナー以外との性交渉は是認されるのか?」ということと「お互いの合意(自己決定)があれば早期の性体験も是認されるのか?」という2つの疑問に対する答えが失われたということです。実は純潔教育の思想においても明確な根拠があったわけではありません。ただ、社会全体としてのいわば「常識」として共有されていたので、あまり説明が必要とされていなかったということだと思います。

現在はその「共通認識」も失われました。そうなると、性行為(セックス)の意義が「生殖」と「娯楽」だけになってしまい、先ほどの2つの疑問に対する答えが失われるということです。「浮気はよくないと思うけど・・・」「あまり早期の性体験は好ましくないのでは・・・」と感覚的に感じてはいても、明確な根拠がないためにはっきりと答えることができなくなったということだと思います。

境界から性教育を考える

以上の疑問に対する答えとその根拠は境界概念を使うことで明確にすることができます。性行為の意義の3番目「関係の親密化」です。性行為はコミュニケーションの一形態ということになります。

配偶者や恋人といった特定のパートナー以外との性行為は、お互いの関係を大きく混乱させることになり、場合によって関係破綻をきたすことになります。性行為を特定のパートナーとの間に限定することでお互いの関係を安定的に保つことが可能になります。

また、子どもが性体験をすると、体験した相手との心理的境界が一気にあいまいになり、逆にそれまで親の心理的圏内で守られていた状態から、いわば強制的に外の世界に放り出されるような状態になります。本来十分時間をかけて親の心理的圏内で守られた状態で成熟を果たすべきところが、未熟な状態で強制的に社会に生み出されるようなことになってしまいます。ですから、あまり早期の性体験は望ましくないと言えます。ただ、それが何歳くらいがよいとか、結婚するまではしないほうがいい、とか一律な基準があるわけではありません。その人それぞれの状況があると思います。ただ、性体験にはそういう機能があるということは理解しておくべきかと思います。

今後学校や家庭における性教育については、以上のことも加味して進めていく必要があるのではないかと考えます。