とらすと通信

とらすと通信2023年9月号「新しい時代のジェンダーの確立」

思春期は、自己のイメージ(自我同一性)をある程度確定し、社会に参画する準備をする重要な時期です。その自己イメージの中には性同一性という重要な側面があります。

とらすと通信2023年9月号「新しい時代のジェンダーの確立」

簡単に言えば、「自分は女性である」「自分は男性である」という認知のことです。そして、その前提として「女性とはどういうものか」「男性とはどういうものか」という性差のイメージ-つまりジェンダー-がある程度明確になっていることが必要です。

ここで問題になるのは、現代は「女性とはどういうものか」「男性とはどういうものか」というジェンダーが非常にあいまいになっているということです。

かつて日本では、性役割によるジェンダーがかなり明確に分かれていました。ざっくり言えば、次のようなイメージだと思います。「家事や子育てをするのは女性」「女性はおとなしく優しいもの」「仕事をして家族を養うのは男性」「男性は強くたくましいもの」。

ジェンダーの形成

では、なぜそのようなジェンダーが形成されたのでしょうか。簡単に言えば、そういうジェンダーを社会で共有することが、かつての社会を維持するために都合がよかったからでしょう。

今のように家電が発達していない時代、炊事・洗濯・掃除といった家事は結構な労働量でした。とても外で仕事をしながらこなせるような内容ではなかったと思います。必然的に配偶者2人のうち1人は家にいて家事をこなすことが必要だったと思います。歴史的にも、授乳ができる女性が家にとどまって子育てに従事していたわけですが、女性が家庭にとどまって家事をこなすという分担になるのは自然な流れだったと思われます。

ジェンダーはその時代の要請によってある程度形成されていくという面があると思います。

セックス(生物学的性差)とジェンダー(社会的文化的性差)

では、かつてのジェンダーをセックス(生物学的性差)から検討してみると、どれくらい妥当性があるのでしょうか?これはかなり怪しいと思います。

例えば、家事の好きな男性というのは特に珍しくありません。むしろ女性よりも細やかに料理や掃除をこなす人も結構います。仕事で高い能力を発揮している女性がいくらでもいるのは周知の事実です。

女性が男性より「か弱い」というのもかなり怪しいと思います。もちろんフィジカルな意味では男性の方が力が強いのは事実ですが、精神的な意味では女性の方がたくましいと思われる場面がたくさんあります。私自身はストレス耐性に関して言うと平均的に女性の方が男性よりも高いのではないかと思っています。

ただ、家事に関して言うと、作業が「洗濯をしながら料理をこなす」という並行処理の場面が多く、それは女性の能力の方がマッチしているというようなことは言えるかもしれません。しかし、それも家事のやり方次第にはなるでしょうね。

「ジェンダーフリー」の課題

近年は労働力の不足という現実的な問題もあり、女性の社会進出が当たり前になりました。背景には、家電などの進歩によって家事労働がかなり軽減されたという事情もあると思います。

そうなると、当然古い時代のジェンダーは時代に合わなくなります。そこで、ジェンダーの見直しが進められているわけです。

ただ、そのジェンダーの見直しは「ジェンダーフリー」という形で語られることが主流になっています。固定的な性役割は完全に放棄するということでしょう。それ自体に反対ではもちろんありません。既成概念にとらわれないで自由に発想することは重要です。

しかし、一つ大きな問題も生じていると思います。それが、最初に書いた「思春期における性役割のイメージ確立の困難」です。

ジェンダーフリーということは、女性・男性というイメージを完全に放棄することを意味しています。そうなると、自分自身で「女性とはどういうものか」「男性とはどういうものか」を考察し、自分なりのイメージを確定していく必要が生じます。しかしながら、それに対応できるのは相当にフレキシビリティの高い人だと思います。正直大半の人はそれほどのフレキシビリティがあるとは思えません。

まして、自我がまだ確定していない思春期の子どもがその作業をするのは極めて困難なのではないでしょうか。それが、現代の若者のジェンダーに関する混乱の大きな要因だと思います。

新しい時代のジェンダーの確立

そこで、私は、古い時代のジェンダーから自由になる「ジェンダーフリー」からさらに一歩進んで「新しい時代のジェンダーを確立する」ことが必要なのではないかと思っています。それがどのようなものになるのかはみんなで考えるべき問題です。一つ言えるのは、できるだけセックス(生物学的性差)に近いジェンダーを模索し、社会全体で共有することが重要だということです。前回までの通信に書いたように、セックス(生物学的性差)に関する科学的知見も蓄積してきています。それをベースに新しい時代のジェンダーの確立に取り組むことが必要になってきているのではないでしょうか。