とらすと通信

とらすと通信2023年4月号「”叱る”と”怒る”」

前回はPBSと「叱る(注意する)」指導との関係について書きました。今回は「叱る」という指導についてもう少し深く考察してみたいと思います。

とらすと通信2023年4月号「“叱る”と“怒る”」

筆者は元高校教師です。生徒を「叱る(注意する)」という指導が非常に難しいということを身に染みて感じています。今回は教職から離れた立場で、自分の過去の指導に対する反省も含めて、有効な「叱る(注意する)」指導についてあらためて整理してみます。

「叱る」と「怒る」

学校現場の教師が児童生徒に指導する場合「叱る」ことと「怒る」ことはたいていの場合明瞭に区別されないことが多いと思います。しかし、教育的指導という観点から考えた場合「叱る」と「怒る」は明確に区別すべきと思います。

この2つを区別するのは、その目的が「子どもの健全な発達を促すため」や「子どもの利益を守るため」であるのか、「教師自身の感情を発散させて安定を取り戻すため」や「教師自身の立場を守るため」であるのかという点だと思います。前者の目的に立って行われるのが「叱る」という行為であり、後者の目的に立って行われるのが「怒る」という行為でしょう。

例として、授業中に「教科書を出さない」「授業と関係のない私語をして授業進行の妨げとなる」などの子どもの行為があった場合を考えてみましょう。

「そういう行為を続けていると本人の学習の遅れが出てきて将来的に本人が困ることになる」「他の子どもの学習の機会を妨げており、学習を進めたい子どもたちから嫌悪の感情を抱かれる」「他の子ども達の学習権を保障する必要もある」ということを心配して子どもに指導する場合は「叱る」と言ってよいでしょう。それは子ども本人のことを考えて指導しているからです。

一方「教師自身が理想としている授業のあり方が妨害されて不愉快である」「授業がうまくいかないと担任としての自分の立場がない」ということから感情的なイライラが溜まり、それを発散するために指導する場合は「怒る」ということになります。「君のためを思って指導しているんだよ」と言いながら、実際は教師自身の感情を発散させているという場面はよく見られるのではないでしょうか。

現実の場面で行われている指導においては「叱る」と「怒る」は混在していることの方が多く、明確に分けることは困難な場合が多いと思います。しかし、指導するにあたってこのことを常に意識しておくことで「叱る」指導の割合を高めていくことができてくるのではないでしょうか。

「怒る」と「感情の抑圧」

このことを実行しようとする場合、一番の困難は「怒る指導は良くないとは思いながらどうしても感情的になってしまう」ということです。「怒ってはいけない」ということで「怒りの感情を押さえつけて優しい言葉で指導する」ということもよくあります。しかし、大抵の場合押さえつけた怒りの感情は身振りや言葉の響きなどの「非言語」レベルで伝わるものです。特に、まだ自我が十分成熟してない子どもは自我の境界があいまいで、大人よりも相手の感情に敏感な状態です。怒りを我慢して指導してもそれは子どもには伝わると考えておいた方が現実的だと思います。

もちろん怒りをそのまま表現するのは問題です。そういう意味で、怒りの感情が生じたときはそれを抑えることはもちろん必要です。しかし、少なくとも教師自身が「自分の感情を抑えている」という自覚を持っていることが重要ではないでしょうか。自分が怒っているという自覚もなく優しい言葉で指導するのはある意味最も最悪のパターンかもしれません。

感情のマネジメント

感情は、一時的には抑えることも必要ですが、押さえつけても解決にはなりません。重要なことは「感情をマネジメントするという姿勢」を持つことだと思います。

「怒り」は、生物が何らかの脅威にさらされたときに生じる当たり前の感情です。怒りを感じるからこそ脅威を排除しようと行動し、自分の生存を確保することが可能になります。怒りをマネジメントする方法の一つは、何が自分にとって脅威となっているのかを冷静に分析することです。

原因は一つではないでしょう。目の前の子どもの問題行動は単なるきっかけに過ぎないのかもしれません。もしかすると、「業務負担が多すぎる」「時間的余裕がない」「保護者対応への負担が大きい」「学校内外で抱えているトラブルがある」などが背景にあるかもしれません。また、先述のように「自分の授業スタイルを守りたい」という気持ちが強すぎることが原因の一つかもしれません。

このように、気持ちに余裕があるときに自分の指導を振り返り、怒りの感情が強くなっている場合には背景を分析する習慣をつけることが感情をマネジメントする有効な方法だと思います。

怒りが生じるのはそれだけ先生自身が追い込まれているということでもあります。現在の教育現場の現状ではそれも無理からぬことでもあるとは思います。しかし現実の中で指導を続けていかなくてはいけないのも現実です。あまり自分自身を追い込まずにすむように自分を振り返る時間を持つことをお勧めしたいと思います。