とらすと通信

援助資源マップ ―子どもの自己資源(2)

昨年11月の通信で、子どもの自己資源の要素として「防衛体力」「発達障害の有無」「成育歴」「趣味特技」を挙げました。このうち「防衛体力」については以前の通信で説明しています(2018年2月「免疫体力が気力を支える」https://kyoiku-shien.org/topic/archives/3 なおこの時は免疫体力という用語を使っていますが防衛体力と同じ意味です)。「趣味特技」については特に説明は必要ないと思います。今回から「成育歴」について説明していきたいと思います。今回は乳幼児期(0~6歳くらい)について考察します。
 

とらすと通信2022年1月号「援助資源マップ ―子どもの自己資源(2)」

 
乳幼児期の発達課題

乳幼児期の発達課題については心理学の分野で多くの研究がなされ言及もされています。この時期に最も重要な発達課題の一つは「基本的信頼感」の確立です。基本的信頼感とは、自己が生きているこの世界に対する信頼感です。「世界は自分を受け入れてくれる」「自分がこの世界に存在することは善いことである」という感覚と言ってよいと思います。

基本的信頼感が育っていないと「自分は周りから受け入れられない存在だ」という感覚が強くなり、常に潜在的な不安を抱えて生きていかねばならないことになります。情緒的には非常に不安定になります。対人不安が大きいのでトラブルも生じやすくなります。心理的に余裕がないのでストレス耐性も低くなります。

基本的信頼感が育つためには

基本的信頼感が育つために最も重要な条件は、親子の濃密な接触です。

乳児は自分では何もできない無力な存在です。食べる・排泄するという生命維持の基本となる活動さえ親の手助けが必要です。空腹という状態を泣くことでしか表現できません。もしその時に親または親の代わりとなる人が授乳をするということを拒否したら子どもは死ぬしかないことになります。子どもの欲求をきちんと見分け受け止めて授乳が行われなければ非常に強い不安や恐怖がその子の基本的な感覚になってしまうでしょう。逆にきちんと授乳が行われれば「自分は世界に受けいれられている」という基本的信頼感が育つことになります。

もう少し成長して自分で歩き、身の回りのことがある程度できるようになり、言葉を使えるようになったとしても、誰かに依存し甘えたいという欲求は強く続いています。人間は基本的に強固な集団で生活する動物であり、他者との強い結びつきを求めるというのが基本的欲求としてあるのかもしれません。特に親に対して甘えたいという気持ちは強いものです。この「甘え」が十分に満足されることが基本的信頼感の形成に非常に重要です。

甘えが十分満足されるためには親子の濃密な接触が必要です。授乳やおむつ替えやだっこなどのスキンシップが重要ですし、成長してくるとポジティブな言葉による交流も重要になってきます。

甘えが十分満たされないとき

以上のように乳幼児期に甘えが十分満足されることが重要です。それが実現することで思春期に社会的自立という課題も達成しやすくなります。

しかし、さまざまな事情で乳幼児期に甘えが十分満足されないこともあります。経済的理由で親が多忙だったり、病気などの理由で十分子どもに構うことができないことがあります。またネグレクトや虐待などの場合もあります。そういう場合には情緒的に不安的になるだけではなく、対人関係における交流パターンにも歪みが生じやすくなります。

したがって、子どもの自己資源の状態をアセスメントする際に、乳幼児期にどのような環境で子どもが生活してきたかについての情報を得ることが重要です。

甘えが十分満足されていない子どもに対してどのような対応をするのかについては次回以降考察したいと思います。

最近若者に共感を集めているネット配信の曲に「命に嫌われている」という歌があるそうです。「僕らは命に嫌われている」という歌詞が出てきます。これは心理学的には基本的信頼感の欠如なのかもしれません。もしかすると社会全体で乳幼児期の親子の交流が希薄になってきているということの証左なのかもしれません。歌詞は悲痛な叫びのように聞えます。しかし最後に「生きて 生きて 生きて 生きて 生きろ」と歌っています。葛藤を抱えながら必死に生きようとするの命の叫び/生きていこうというメッセージのように思えます。