前々回には子の損傷のメカニズムの一つとして「子の資源浪費」を紹介しました。今回は子の損傷につながる、もう少し深刻なメカニズムである「ソフトなネグレクト」について検討します。
ネグレクト
ネグレクト(養育放棄)についてはよく知られていると思います。食べ物を与えない、不衛生のまま放置する、病気をしても病院に連れて行かない、など、必要な世話を放棄することです。最悪の場合死に至ることもあり、非常に深刻な問題です。死に至らない場合であっても、子どもの発達には深刻な影響が生じることが知られています。
したがって、ネグレクトの疑いがある場合には、児童相談所が介入し、場合によっては一時保護などの措置がとられることになります。現状、保護者のもとでは子どもの命・発育・発達に深刻な問題が発生すると考えられるため、一時的に養育権を停止し、親のもとではなく、社会的養育によって子どもを保護するという発想です。
ソフトなネグレクト
ここで使っている「ソフトなネグレクト」という言葉は、私が使っている用語です。児童相談所が介入する段階ではないものの「ごく普通の家庭でも日常的に起こりうる軽い段階の養育の欠如」といった意味で使っています。
何度も書いていますが、子どもの健全な発達を実現するための養育・教育には多量の資源を必要とします。そして、現代は家族構造の変化により、家庭の資源が不足しがちな状態になっています。そうなると、どうなるかというと、子どもに供給すべき資源が十分与えられないということになります。
例えば、子どもが食べ物の好き嫌いが強い場合、そのまま放置すると将来偏食による健康悪化が生じる可能性が大きくなります。好き嫌いは簡単には解消するものではありません。親としては、好き嫌いを少しでも解消するためにいろいろな工夫をする必要があります。例として以下のような取り組みが挙げられます。見た目形、食感、味付けなどを工夫する。苦手な食材を小さく切ったり、他の食材と混ぜたりする。好きな遊びやものに似せたメニューにする。楽しい雰囲気で食事をする。買い物や料理を一緒にする。思いっきりほめる・・・。などなどです。
しかし、文章にすると簡単そうですが、実際にこれらの取り組みを実行するのは、親の側にかなりの「気力」が必要です。言い換えると「資源のゆとり」が必要です。資源のゆとりがない場合「とにかく何でもよいから食べてくれればよい」ということで、子どもの好きなものだけ食べさせるということになりがちです。結果的に子どもの好き嫌いは解消しないまま成長する可能性が高くなります。
同様に、親は子どもの健全な発達を促すために必要なこととしてさまざまなことを支援していく必要があります。お箸やお茶碗の持ち方、着替え、靴の履き方、歯磨き、手洗いのしかた・・・、など、本当にたくさんのことを身に着けさせることが必要です。
また、知的発達や情緒的発達を促すためには、絵本の読み聞かせや音楽に触れさせるなども必要です。植物や動物に興味を示し始めたら、一緒に虫取りをし、観察をするなどの取り組みも必要です。
そして、そういう形で子どもと交流することが、子どもの情緒的安定を促し、基本的自己肯定感を育てることにつながります。
このように、改めて考えると、子どもの養育・教育には多大な資源を供給することが必要だということが実感できると思います。
家庭の資源が不足している状態では、これらのことが実行できずに過ごしてしまうことになりがちです。これらは、児童相談所が介入するべき段階のネグレクトではありませんが、子どもの健全な発達に必要な資源を与えていないという意味ではソフトなネグレクトといえると思います。
問題の発生と固定化
これまでの説明でおわかりと思いますが、ソフトなネグレクトは、どこの家庭においても起こりうる一般的な現象です。親が疲れていれば、お箸の持ち方がうまくいっていなくても、注意することなくそのままにしてしまうこともあるでしょう。絵本を読む気力がなく、テレビや動画のアニメだけに頼ってしまうこともあると思います。したがって、これは特別な現象ではないということです。
ただ、問題は、これが一過性のものではなく、恒常化してしまった場合です。一過性のものであれば、家庭の資源が回復したときに、取り組みも回復します。そこで修正されていきます。しかし、資源の不足が恒常的になっていると、問題が子どもの問題行動という形で表出しやすくなります。
親にかまわれていないことで、親の気を引くために無意識に親を困らせるような行動をとることもあります。学童期では登校渋りをするようになることもあります。体調不良を訴えるようになることもあります。
さらに問題なのは、子どもの問題行動が繰り返されることにより、「家庭の問題は子どもの問題行動」という形で親が認知し、「家庭全体の資源不足」という根本的な課題に直面することを回避して家族システムが安定してしまいがちだということです。前回説明した「病状利得」が働くわけです。そうなると、子どもの表出している問題が固定化してしまうことになります。