最近、某自治体の首長が「フリースクールを国が認める・支援することに対して懸念を表明する」という趣旨の発言をし、批判が相次いだという報道がありました。この機会に学校制度というものについて考えてみたいと思います。
とらすと通信2023年11月号「学校制度について考える」
学校制度に対する強固な信頼
先述の発言の全文を読んでみましたが「学校制度というものに対する強固な信頼」を感じました。発言には批判が多く寄せられたようですが、一方で、現行の学校制度というものに対して強固な信頼を抱いている方が多いというのも事実ではないかと思います。つまり「健全な発達を促すためには学校に通うことが絶対必要だ」という発想です。だからこそ、子どもが不登校になると先生も保護者も強い不安に駆られるわけです。もちろん子ども自身が一番不安を感じていることが多いと思います。
言い方を変えると「学校に通えないと発達にゆがみが生じる」という発想と言えます。また、社会を競争の場と考えると「社会における競争から脱落してしまう」という恐怖もあると思います。
もちろん、学校制度に対して信頼を置くことは決して悪いことではありません。ただ、現行の学校制度そのものに課題はないのか、ということを一度根本から考えなおしてみる必要はあると思います。
一斉授業という形態
現代の学校制度の大きな特徴の一つは、同一学年集団に対する「一斉授業」ということだと思います。対比する教育方法は「個別指導」です。
この一斉指導という形態はいつ始まったのか。私が読んだいくつかの教育学関係の資料で共通して紹介されていた説は、産業革命期のイギリスにおいてはじめて一斉授業と言う形態が始まったという説です。これから工員として働く者に対し、経験を積んだ工員を前に立たせて、手順や要領などの説明をさせたのが一斉授業という形態の始まりだということです。
そして一斉授業が考案された理由は「経済効率性」です。それまでは、熟練工が新人に対して個別に教育を行うのが普通だったわけです。少人数ならばそれでももちろん問題ないのですが、産業革命によって大量の工員が工場で働くようになると、それでは対応できなくなります。熟練工を育てるのには時間もお金もかかります。同じことを習得させればいいわけですから、1人が多人数に一斉に教えれば時間もお金も節約できるわけです。
個別指導の時代
逆に言えば、それまでは一斉授業という概念がなかったとわけです。教育は基本的に個別指導でした。
ヨーロッパの貴族などは家庭教師によって子弟の教育を行っていました。庶民の職人などの教育は徒弟制度による個別指導です。
日本では、武士の教育機関の藩校や庶民の教育機関である寺子屋においても基本的に個別指導でした。同一年齢だから同じ内容ということではなく、個々人の能力や理解度に応じて指導をするのが普通だったということです。藩校では試験が行われることもあったようですが、内容はみんな同じではなく、個々人に合わせて試験の内容も異なるのが一般的だったようです。
日本の学校制度の始まり
現行の学校制度の始まりは、ご存じと思いますが、明治維新以降です。時代の変化にともない、急激な工業化が必要になりました。工業を支える工員を作るには一定の知識を備えた人材を大量に育成することが必要です。そこで、一クラスに多くの子どもを入れ、一斉授業によって一定の知識を習得させるようにカリキュラムが構成されました。そして、その形態が現在の学校制度にそのまま引き継がれています。
この学校制度は、戦後の高度経済成長期までは一定の効果を上げてきたものと思います。それは社会の構造と社会から要請される人材を効率よく生み出す制度としてある意味優れていたからでしょう。
社会の変化と学校制度
しかし時代は大きく変わりました。物を作るにしても、ただ作っても売れない時代です。必要なものはすでに社会にいきわたっています。なんらかの付加価値をもつ商品を生み出さなければ会社も生き残っていけません。
こういう社会からの要請に合わせて、学習指導要領も「個性を伸ばす教育」ということを強調するようになりました。しかし、大量の人数を同じ教室で一斉に指導するという現在の体制で個性を伸ばす指導をするというのはかなり無理があると思います。そもそも一斉授業という形態は、「個性を大事にする」よりも「一定の知識や技能を効率よく伝える」ことを目的にして作られた形態だからです。背景にあるのは「経済効率性」です。つまり「あまりお金をかけずに効率よく教育する」ということです。 《続く》