とらすと通信

とらすと通信2023年7月号「脳の性分化と性同一性(1)」

最近カウンセリングの場面で「自分はトランスジェンダーだ」と訴える中学生などに会うことが増えてきました。私自身の経験では、(身体的には)女子の方が圧倒的に多いのですが、統計的にそういう傾向があるのかはわかりません。こういう訴えを聞いたとき大人はどう対応すべきか。難しい問題ですが、現在わかっている脳の性分化のしくみを手掛かりとして考察してみたいと思います。

とらすと通信2023年7月号「脳の性分化と性同一性」

体と心の性が一致しない場合、医学的には「性同一性障害」という診断名が存在しています。ただ「障害という表現はおかしい」という主張もあり、トランスジェンダーという表現が一般的になってきました。

以下は、私が理解した医学的知見に基づいて書きます。(研究は日々進んでいますので、もしかしたらもっと新しい知見が発見されているかもしれません。そういう事実をご存じの方がおられたらぜひ教えてください。)

脳の性分化

「心の性」とは、医学的に考えれば「脳の器質や機能の違い」と言ってよいでしょう。脳には女性型の脳と男性型の脳があり、以前の通信で書いたように女性型の脳は言語能力に優れ、男性型の脳は空間認知に優れているなど機能的な違いがあることがわかっています。

女性型の脳に分化するか、男性型の脳に分化するかは胎児の段階で決まると考えられています。Y染色体をもらった胎児の体内では、ある時期になると胎児精巣からのアンドロゲン(男性ホルモン)分泌が増加します。アンドロゲンのシャワーを浴びることにより男性の外性器が分化すると同時に、少し遅れて男性型の脳が分化していくようです。胎児精巣のない女子ではアンドロゲンが高濃度になることがなく、その場合女子の外性器が分化し、脳は女性型に分化すると言われています。

つまり、もともと女性型が基本型で、胎児の段階でアンドロゲンが分泌されてないと女性型の脳に分化し、アンドロゲンが分泌されると男性型の脳になるということでしょうか。

脳の性分化からみた性同一性障害

この時、さまざまな事情で性同一性障害が生じると考えられています。

アンドロゲン自体の異常により、外性器の分化は促さないが脳の男性化は促すことがあるそうです。そうなると「体は女性で脳は男性型」になると考えられます。

脳のアンドロゲン受容体の異常でアンドロゲンを脳が受けつけない場合もあります。そうすると、「体は男性で脳は女性型」になると考えられます。
また、アンドロゲンは副腎からも分泌されるようですが、女子の場合代謝異常により副腎アンドロゲンが過剰に分泌されることで脳が男性化することもあるようです。この場合は「体は女性で脳は男性型」になると考えられます。

このように、胎児の段階でのホルモン分泌の不具合により体と心の性が一致しないケースが生じてしまうということです。性同一性障害は、医学的には以上のようなメカニズムで生じると考えられています。

付け加えると、第二次性徴期になるとアンドロゲンやエストロゲンの分泌が増加し、それらが身体的な変化を促すだけではなく、脳にも作用して性自認の安定や確立に関与している可能性も指摘されています。この点の研究はまだ未確認の部分が多いようですが。

社会はトランスジェンダーをどうとらえるべきか

以上の医学的事実を踏まえてトランスジェンダー問題について考えてみましょう。「男性になりたい」と考えている女子が、脳が男性型であれば医学的に見ても性同一性障害と言えると思います。しかし、その女子の脳が女性型であり、いろいろな要因から「女性という性を忌避したい」という気持ちで「男性になりたい」と主張している場合、医学的に性同一性障害とは言えないのではないでしょうか。

問題は、社会全体として後者のケースをどう扱うかということです。最近の動きからすると「性は自認によって決めることができる」という考えが広がりつつあるように思います。つまり、「体も脳も女性で実は一致しているのに、男性と自認することで社会的には男性として生きていける」ということです。

それは新しい社会の一つのあり方とも言えなくはないかもしれません。ただ、私が懸念するのは、そういう形で「脳は女性型なのに自分は男性だと認知」して生きていく場合、その人自身が将来的に強い葛藤に陥る可能性が高いということです。脳が女性型であれば、心も女性的な働きをするのに、無理やり男性型の思考パターンや感覚を使うことを自分に強制することになるからです。それは非常に苦しいことだと思います。私自身は「自認によって自由に性を選択できる」という発想は行き過ぎなのではないかと考えています。

(次号に続く)