最近では日本でも「ゲーム依存」を「障害」として治療の対象とされはじめました。eスポーツという分野も生まれ,「プロのゲーマーを目指したい」という子どもも増えてきました。私たち大人は子どもとゲームとのつきあいをどう考えればよいのでしょうか。
とらすと通信 2020年3号「ゲームとのつきあいをどう考える?」
ゲームと遊び
では,子どもは本当にゲームでの遊びで十分な満足を得ているのでしょうか?
これについて調査したデータがあるかどうかはわかりませんが,子どもたちがリアルな集団で遊ぶ環境が十分に整っていれば,ゲームにそれほどのめりこむことはないという報告を見たことがあります。私もゲームでは十分な満足を得ることはできないのではないかと思っています。むしろ,ゲームで得られる喜びには,どこか満足できない部分が残り,そのために,さらなる満足をもとめてゲームを継続してしまうという面があるのではないかと推測します。
このように考えるのは,人は発達段階において必要なことを自然に求めるようになるという特性をもともと持っているからです。したがって,幼児期から学童期にかけて「友達と遊びたい」と強く欲求するようになるのは自然なことであり,その欲求はゲームでは完全に満足することはないからです。最近はゲームもオンラインで複数の人が参加して一緒にプレイするスタイルが主流になりつつあります。小学生と話していても「一人でプレイしていても飽きてしまう。友達と約束して一緒にプレイするのが楽しい。」という声をよく聴きます。これは友達と交流したいという欲求が強いということの現れではないでしょうか。
ゲームを遊びに主流にした社会的要因
ではなぜゲームが遊びの主流になってしまったのでしょうか。これにはいくつかの社会的要因が影響していると思います。大きくは次の2つだと思います。
一つは少子化です。子どもが友達と遊びたいと思っても,歩いて行ける距離に年代の近い子どもがいないことはまれではありません。熊本のような地方では,事前に連絡をし,親に車で連れて行ってもらうなどしなければならないことがほとんどです。以前のように子どもが自分で気軽に集団を作れる環境ではなくなっています。
二つ目は,子どもが遊ぶ場の減少です。地方でも開発が進み,人工的環境が増えてきました。住宅街にも公園はありますが,多くの場合ボール遊びなども禁止され,できることがかなり制限されています。また,公園の作りは,山や川といった自然環境に比べると極めて単純で,面白みにかけます。例えば,かくれんぼをしようとしても隠れる場所もありません。遊びの種類がかなり限定されてしまいます。
ゲームとのつきあい方
子どもとゲームとのつきあい方を考えるとき,家庭で子どもと使い方のルールを話し合ったり,親が使用時間の制限をしたりすることはもちろん重要です。しかし,それだけで子どもどうしのリアルな交流が生まれる環境ではなくなっています。
したがって,同時に,子どもたちが集団で楽しく遊べる場を確保してあげることも重要ではないでしょうか。例として,公園の構造を,大人の目線でだけではなく,子どもの目線で企画するとか,子どもが集まりやすい時間帯を設定するとかです。具体的には,学童保育などの時間帯に遊べる時間を空間を確保してあげるなどの工夫が可能ではないかと思います。
今後教育行政以外の行政機関においても上記のような視点での教育環境づくり・街づくりが行われることを期待したいと思います。