とらすと通信

「資源の変換といじめ」

前回は資源の変換のしくみについて考察しました。今回は資源の変換という側面から「いじめ」について考察してみたいと思います。

とらすと通信 2018年11月号 「資源の変換といじめ」

前回書いたように,我々は仕事・子育て・ボランティアなどの活動を行うことで,お互いに資源を変換・交換しています。これらの行為は「相手の利益になる」ことをすることで,自分自身にも「財・生きがい・潜在的な資源」などを得ることなので,いわば「資源の互換(相互交換)」とも言えます。では「いじめ」はどうなのでしょうか?

いじめは資源の「搾取」

いじめの加害者は被害者をいじめることが「楽しい」からいじめたといいます。楽しいことをすれば人は元気になります。つまりいじめの加害者はいじめという行為を通じて資源を増大させていることになります。一方被害者はひどく落ち込んだり苦しんだりしますので,資源を減少させていることになります。つまり,いじめは加害者が被害者から資源を奪い取る行為であると考えることが可能です。「互換」ではなく一方的な「搾取」であり,これが仕事・子育て・ボランティアなどの行為との大きな違いだといえます。

「差別」においても,差別する側は,差別される側よりも自分が「上」であると認識することで心の安定を得ています。つまり「社会的な上下関係が設定されると,下位から上位に向かって資源が奪われる」というメカニズムが働くようです。上位の者はいわば安直に資源を得ることができます。

これが,いじめや差別がなかなかなくならない一つの原因だと思われます。

資源が不足している子どもがいじめの加害者になる

では,どのような子どもがいじめの加害者になるのか。それは資源が不足している子です。資源が十分満たされている子どもはいじめをしようとは思いません。誰しも十分満腹していればそれ以上食べたいとは思いませんが,極端な飢餓状態に置かれると,たとえ人のパンであっても思わず盗って食べてしまうこともあるでしょう。そうしないと生命を維持すること自体ができないからです。

人の場合,生命を維持しているのは食べ物だけではありません。「ありのままの自分を認めくれる場」が必要です。それが生きていく上で何より大きな資源となります。その資源が不足したら,どこかから奪ってでも補わなくては生きていけなくなります。それでいじめという手段に頼ってしまうことがあるわけです。私自身の教員経験での観察でもいじめを行う子どもは資源が不足している環境に置かれていました。やはり家庭環境が大きいと思われます。

一方いじめを受けた子どもはどんどん資源を奪われます。場合によっては命を失うこともあります。これはどちらにとっても非常に不幸な事態です。

いじめ問題の解決には資源バランスの回復を

いじめ問題の解決のためには,一つには「道徳教育」や「人権教育」を強化し,人権感覚を育てることがもちろん重要です。教育現場においてこれらの取り組みは継続的になされてきましたし,近年強化されてきています。今後もそれは続けていく必要があります。

しかし,それにも関わらずいじめの認知件数は年々増加しています。一つには,学校のいじめの認知のしかたの変化があると言われていますが,それだけではないと思います。長年学校現場にいた者の感触として,おそらく実体していじめの件数は増加していると思います。その原因は社会全体での資源の不足だと思われます。しわ寄せは一番立場の弱い子どもたちに向いてしまうからです。

したがって,いじめ問題の解決のためには,子どもたちが資源の不足に陥らないで生活できるような「資源のバランス回復」を図ることが必要です。そのためには,ある程度家庭に資源のゆとりが残るような,労働環境の改善・家族構造の設定・子育て支援のしくみづくりなどに社会全体で取り組むことが必要でしょう。