とらすと通信

「資源は変換される」

前回まで,資源の特性である「資源の増減」について書いていきました。今回は,資源の特性の続きとして「資源の変換」について考察します。

とらすと通信 2018年10月号 「資源は変換される」

我々は,仕事をすることで報酬を得ます。仕事では,時間と,体力・知力などの能力を使います。つまり,労働とは時間・体力・知力などの資源を消費し,それを財(お金)という資源に変換する行為であるということができます。

得られた財(お金)は,家庭に供給され,衣食住や子どもの教育などの活動に使われます。財は体力や知力などの能力維持や子どもの健全発達などの資源として変換されるわけです。

このように我々は日常の中でお互いに資源を変換(交換)しながら生活しているといえます。
具体的にどのように資源が変換されていくのかをいくつか見てみましょう。

仕事

上記のように,仕事においては投入した資源は主に財(お金)に変換されます。しかし,仕事から得られるものは,財(お金)のみではありません。いわゆる「生きがい」や「喜び」も得られます。「生きがい」や「喜び」は自分自身を元気にしてくれます。つまりそれらも仕事から得られる資源だといえます。

子育て

親子関係においては,親は資源を子どもに大量に投入します。しかし,財(お金)などの資源が得られるわけではありません。無償です。その代わり,一般に親にとって子どもの健全な発達は,それ自体が大きな喜びとなります。親は子どもに資源を投入することで「喜び」という資源を得ていることになるかもしれません。

親がなぜ子どもの健全発達を大きな喜びと感じるのか。遺伝子の研究者などによると「自己の遺伝子を保存することが生命の目的だから」と解釈されたりします。しかし,親という当事者にとっては,それ自体が喜びであることには変わりはなく,親のその態度は子どもにとっても嬉しいことです。理論的なことはここでは置いて,率直にその喜びを認めあうことが重要ではないでしょうか。


ボランティアや社会奉仕活動

ボランティアや社会奉仕活動は,「遺伝子保存」とはあまり関係ありません。財(お金)も得られません。前回書いたように,我々は人に喜びを与える行為自体が自分自身の喜びになります。それがその場で得られる資源です。また,ボランティアや社会奉仕活動は,対象の人々の感謝や信頼の気持ちを生みます。それが潜在的資源(潜在的被支援力)として働きます。ボランティアや社会奉仕活動をすれば,仕事と同じく体力や知力といった資源を消費します。しかし,それは,潜在的資源という形で将来的に自分を支える力を蓄えることになります。つまり,これは潜在的資源という形での「貯金」をしているようなものとも言えると思います。


いじめ?

では,教育現場でも問題となっているいじめはどうでしょうか?語弊はあるかもしれませんが,いじめの加害者はいじめという行為自体が「楽しい」からいじめをしていると思われます。いじめの問題は,現在の教育活動を考える上で非常に大きな課題です。次回はこのことを詳しく考察してみたいと思います。